info-avenueのブログ

永年アロマセラピストとしてカウンセリングの体験を基に自ら悩み苦しんだ日々を踏まえこれからの人生明るく楽しく自由に生きていきたいなぁと言う気持ちで日々を綴っていきますので応援してくださいね

神様ぁ~! お正月に初詣で歩く有名な神社の参道は 昔戦国武将が歩いた道かも知れないと言ってね!!



  猫さん達の可愛い日替わり画像【 ペルシャ・チンチラ・ヒマラヤン 】            



  【 3年前の東日本大震災被災された皆様には
  
       心よりお見舞い申し上げます 】



  私はアロマセラピスト
   『アロマ・アヴェニュー』は私のお部屋の名前です
   今日から読んで頂ける方の為にも
    少しずつお話を進めていきますね

  私のお部屋では生徒さん達と
   アロマ医療のお勉強をしてるんですけど
  認定試験のない時は
   いつも脱線ばかり

  雑談と言っても
   れっきとしたカウンセリングをしてるつもりなの
  アロマ医療ではこのカウンセリングも
   とっても大事なんですよイイワケタラタラ

  今回もアロマについての説明はもう少しお休みして
   本題が途中になってしまってたから
    続きをお話ししますね

  《エピソードNo.14-350》
  【普段は結構おしゃべりでも
   お相手の前では超寡黙】

 「先生 大変ですぅ
   きのうの『特定秘密保護法』のお話しは
    おかげさまで無事分かってもらえましたぁ

  でぇ そのあとで例の『SOS』のお話しをしたら
   『どちて坊や』達が興味津々になって
     結構盛り上がっちまいましたぁ

  それにフランス語の『M'aider(メデ)』が
   メチャメチャ『どちて坊や』達に受けて
    似たような意味の単語を
     一生懸命覚えてたのまでは
      よかったんですけどぉ

  最後に一言『桶狭間の戦い』ってなぁにって
   聞かれたときにはゾッとしちまいましたぁ
    だって仲間のだれも覚えてなくって
     聞いたことがあるようなないようなって
      うなずき合ってたんですけどぉ
       どんな戦いでしたっけぇ・・・」

  あらまぁ また唐突に
   『遭難信号』からなんで『桶狭間の戦い』なんか
     出てきたのかしら
      確かに日本史では有名なんだけどね

  ねぇ そこに至るまでを
   もう少し詳しくお話ししてくれない
    だって『桶狭間の戦い』の何が知りたいのか
     いきなり聞かれても分からないわよ

 「先生 じつは『どちて坊や』達とお話ししていたら
   どこの局かは忘れちまったんですけどぉ
    今回の選挙戦の総評とかで
     どこかの評論家だったか知らないんですけど
      まるで『桶狭間の戦い』の
       『逆 桶狭間の戦い』みたいなって
         言ってたんですよぉ

  単純に『桶狭間の戦い』だけでもハテナなのに
   『逆』がくっ付いちまったら
     さらにサッパリなんですぅ
      だからまず『桶狭間の戦い』を
       ストレートにお願いしますぅ・・・」

  そうだわ 『桶狭間の戦い』だったら
   名古屋のOBさん達がよくご存じかも知れないわ
    だってね『桶狭間』って言うのは
     確か 名古屋市緑区とお隣の豊明市辺りの
      地名だったと思うわよ

  でね 1560年に織田信長が率いる軍勢と
   今川義元が率いる軍勢との戦いだったと思うわよ
    戦国時代の中でもかなり有名で
     某国営放送の『大河ドラマ』なんかでも
      何度かやってた気がするわ

 「先生 またまたドラえもん登場みたいですけどぉ
   よく『桶狭間の戦い』が1560年って
    学校出てから何十年も経ってるのに
     覚えていられるんですねぇ
      ビックリしちまいますぅ・・・」

  あぁこれね あなた達だっていわゆる語呂合わせで
   覚えてないのかしら
    『日頃を覆す桶狭間』とかね
      1・5・6・0でヒ・ゴ・ロ・オでしょ

  ねぇ その前にあなた達
   いまドサクサに紛れて
    『学校出てから何十年も経ってるのに』とか
      言わなかった
       もぉ失礼しちゃうわね
        ちょっと言いすぎでしょ

 「先生 ちっとお口が滑っちまいましたぁ
   ホントは学校出てから・・・・・・・」
 
  お黙り 何も数えなくてもいいでしょ
   どこまでお話ししたのか
    忘れてしまったじゃないの
     でなんのお話しだったっけ

 「先生 なにがそんなに有名なんですかぁ
   そこんとこを分かりやすくお願いしますぅ」

  先ほど織田信長が率いる軍勢と
   今川義元が率いる軍勢との戦いって言ったけど
    お互いの数が問題なのよ

  だってね 今川義元が率いる軍勢は
   記録では2万人以上とも2万5千人以上とも
    言われてるんだけど

  織田信長が率いる軍勢はわずか数千人で
   実際に『桶狭間』で戦ったときは
    2千人だったとも言われてるのよ

 「先生 だったら十倍以上も違うじゃないですかぁ
   それじゃあ信長さんが義元さんに
    コテンパンにやられちまって・・・

  エェェェェッ 先生
   『桶狭間』で信長さんがやられちまったら
     のちの『天下統一』が
      できないじゃないですかぁ・・・」

  だから勝手に早合点しないで聞いてくれる
   織田信長が率いる軍勢は大雨に乗じて
    今川義元が率いる軍勢に奇襲を掛けてね
     今川義元の首を取ってしまったそうなのよ

  いくら2万5千人以上の大軍とは言え
   実際に今川義元を守っていたのは
    5~6千人だったそうで
     織田信長の作戦勝ちだったんでしょうね
      配下に腕の立つ者もいたみたいだし
       それが後世に伝えられた有名な所以よ

 「先生 じゃあ『逆 桶狭間の戦い』って言ったら
   大軍の方が勝っちまったって・・・
    あぁ 分かったぁ
     野党に準備時間を与えずに
      大人数で一気に奇襲ってヤツですねぇ」

  まぁ その評論家はそんな例えを
   お話ししたかったんじゃないのかしら
    ちょっと余談なんだけど
     織田信長が『桶狭間』に行く前に
      『熱田神宮』で祈願したんだそうよ

 「先生 ゲッ 少し前に連れて行っていただいた
   あの『熱田神宮』を 信長さんが
    歩いていたなんてぇ
     メチャメチャ ロマンですぅ・・・」

  神様ぁ~ お正月に初詣で歩く有名な神社の参道は
   昔戦国武将が歩いた道かも知れないと言ってね

  お願いねっ